昨年被団協がノーベル平和賞を受けて以降、「被爆者」とはいったいどのような経験をした人のことを言っているのだろうかという「問い」が、わたしのなかに生まれてきました。それは、「被〈爆〉者」は「原爆被爆者」の「爆」だけのことなのだろうかという疑問として差し出されました。〈爆〉はもちろん「原爆」の「爆」ではあるのですが、他にもたくさん意味するものを持っています。爆撃、空爆、砲撃、爆破、爆砕など。
こんなことを考えるようになったのは、新聞紙面で、原爆被害者以外の戦争被害者の救済運動を伝える記事が、昨年被団協がノーベル賞を受賞して以降、たくさん報道されるようになった気がするからです。しかし、わたしの問題意識のなさがそうした記事に目を止めていなかったことも大きいことは否めません。
たとえば、戦争被害者4団体(全国空襲被害者、沖縄戦南洋戦の民間被害者、朝鮮人元BC級戦犯、シベリア抑留者)が救済を求めて東京でパレードをしたこと(朝日新聞5/9・19、6/29)や、戦後80年に全国空襲被害者連絡協議らが集会を開き「救済法案年内成立を」求めたこと(NHK 8/5)など、重く知ることになりました。
すると「被爆者」という3文字から<爆>が浮き上がってきて、上記のような「問い」として改めて「被爆者」とは誰のことなのだろうかとあらためて考えさせられるのです。
米山リサは『広島 記憶のポリティクス』(p281)でこう述べている。——私たちは過去に実際に起きたことをただ知ればよいというわけではない。私たちには、実現することのなかった約束や歴史の別の過程を探求することも必要なのである。
<爆>がつなぐ戦争被害者の連携はありえなかったのか。あり得なかったとしたそれはなぜなのか。そんな「問い」が、戦後80年であり被爆80年の蝉も鳴かない猛暑にわたしにまっすぐ届いてきました。
