コロコロ変容をそのままお見せしております。何かがまだ定まっていないのだと思いますが、見守っていただければ嬉しいです。年初にサゴリ日記を綴る決意をいたしました。これまでの試みも「日々」の出来事として包み込むことができると思ったしだいです。(高雄)
●1月30日(金)
今日は「戦前・戦中」⑫のファイルボックスの中の「大東亜共栄圏(南方)」。「現地座談會 インドネシア女性に訊く」という資料を目録化した。この資料は1937年に創刊されている『新女苑』に掲載されているもので、日本軍はインドネシアを1942年3月に占領しているのでおそらく1943年か44年の雑誌だろう(号数不明)と思われる。出席者は日本軍宣伝部バンドン支部所属の日本人4人(女性1人)。インドネシア人女性が7人、新女苑主事(男)1人。女性は、医師夫人、鉄道局幹部夫人とある。そう長くないので読んでみた。なんともいえぬ占領者の上から目線の物言いに胸がざわつく。
……なんでも日本に頼みます頼みますだけで、自分たちはあまり苦労せずによい結果を得ようといふのではいけません。さういう點ではオランダはあなた方を甘やかしたかもしれない。しかしそれはあなた方を無気力にし堕落させた。日本はそういうことはしません。本当にあなた方を愛すればこそ、我々は少し厳しく鍛へます。……
……この戦争は日本やあなた方や、東亜の民族が英米の厭力から解放されて、真に東洋人の正義による共栄圏を打ち立てるまでは続くのですから、その長期戦にそなへる爲に物をためておかねばなりません。日本人は自分の爲ばかりではなく、あなた方の解放の爲にも節約をしているのです。……
サゴリでは『寫眞週報』の表紙を視える化している。それを日々眺めているが、写真から侵略や占領が正当化されていく、あるいは受け入れざるを得なくなる過程のコトバはどんなものだったんだろうと気になっていた。一字一句、占領者言語であることがわかる。もちろん女性出席者も例外ではない。
日本軍はこうした座談会を開催する一方、インドネシアの各地に慰安所を設けていた。
●1月29日(木)
友人二人とサゴリで落ち合うことになっていたというオーストラリアから一時帰国している若者たち。3人で会うのは初めてだという(これをまさしくサゴリと言わずしてなんという。ついでに坂道が長く徒歩は困難という噂も流れているとか)。オーストラリアでもZINE は小さなメディアとして注目されているとか。月刊家族にも関心を持ってくれたので、わたしは少しばかりおしゃべりになったのは言うまでもない。フェミニズムや政治の話で盛り上がり、最後「日本で女性の首相が誕生したのにこんなに喜べないなんて、想像していなかった!ね」で一致した。30歳前後と76歳の女たちはこの状況をどう考えたらいいのか、とさらに石油ストーブを囲んで語り合うことに。
●1月26日(月)
ここ2日間、サゴリには実に多様な背景を持った人々の来室があった。そこで話が盛り上がったのが「読書会」。その場に6人いたのだが、4人が小さな読書会(複数持っている人も)、1人が小さな研究会の場を(オンラインではなく)持っていることがわかった。共通していたのは「SNSを回避できなくなればなるほど一方で安心して語れる場が必要になってくる。本を媒介にした人と人の関係(2~6人)のここち良さがある」ということだった。ほんとにひとりひとり「生きる場」が違い「たずさわるもの」が違う。偶然にサゴリで遭遇した不思議な時間。寒気の夕暮れのなかでサゴリのストーブは赤々と人々を惹きつけ、人々はストーブを抱いている。
資料室には、加納実紀代さんの中学生の時の日記がある。その中に“私はストーブのような人間になりたい”という1行があったことを思い出した。
●1月22日(木)
加納さんが「戦争とジェンダー表象」を研究するときに扱った『寫眞週報』の表紙ファイルが丸1冊あった。創刊号(1938年2月16日発行)の表紙は、今では写真界の芥川賞と言われる「木村伊兵衛賞」の当人、木村伊兵衛が撮影した「高千穂に歌う」。中学生くらいに見える男女が「愛国行進曲」という譜面をもって“高らかに歌い上げている”写真だ。国策プロパガンダグラフ誌のはじまりとして「有名写真家」と「子どもたち」を登場させている(「愛国行進曲」は戦前に広く歌われた日本の国民的愛唱歌であり、事実上の第二の国歌として扱われたとウイキペディアにはある)。それらとサゴリで展示している『写真週報』表紙をチェックすると展示していないものもあり、補足するためにコピー・ラミネート化し、展示そのものも見直すことにした(いつになるやら)。
「寫眞週報」は資料として希少価値があるものではないが、「見える化」を常設しているところが他にはないところだろう。「戦時中」とはいったいどのような「空気感」だったのか。「平時」と言われている現在とどう違うのか。これまでも訪問者の眼を曳きつけている。
●1月21日(水)
そう言えば、すっかり家と家、家と世間のあいだにあり、それらをつないでいた「軒」が消えてしまった。「家が建つ」というより「家を組み立てる」感じののっぺらぼうな日本の住宅が増えていくのを散歩道に見やりながら、その「軒」というものをなくしていく時代というのは、何が喪失する時代なのだろうかと思う一方、「サゴリ」がそこにあることが「個」の「軒」のようにも思えてきた。
●1月20日(火)
ひよどりやシジュウカラがはっきりと見えるほどの枝に舞い降りてくる。そして曇り日には、よけい瀬戸内海が低くくぐもり、静けさとして横たわる。この3日間は訪問者はなく、ひたすら加納の研究ファイル目録化に勤しんでいる。「戦前・戦中」のファイルが多くて少し曳いていたが、全体をみないで個別の研究ファイルだけに目をやるという行為を繰り返していると、なんと二段目の棚までに進んでいた。「虚心坦懐」のたまものか。
中でも「愛国婦人会」「大日本国防婦人会」の機関誌や写真集、満洲紀行集などを手にすることになり、白い割烹着の集団性の気味悪さがすべてのページに現象していて、そういえば母のカッポウ着姿も思い起こしながら、「社会的衣服」であるカッポウ着は、日の丸国旗を纏っているようなものだったのかもしれないと思ったり。衣服は身体と社会の境界線であり、関係を表してもいるようだ。
