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映画「女性の休日」を観て「小さいことの可能性」を実感。

ジェンダーギャップ指数が16年連続1位を誇るアイスランド。その原点が1975年10月24日に女性の90%が参加した『女性の休日』、つまりストライキ。ストライキと言わず「休日」とした戦略は素晴らしい、と言いたい。その柔軟性がその後を作り出すエネルギーになったのは確かだろう。「ちょっとだけ変わってほしかっただけよ」と笑いながら当時の心境を語る「女たちの余裕」が、男たちを取り込み、取り込み現在につながったことを考えたとき、やはりそのように「男たちが変わった」背景には何があったのかは興味深い。

アイスランドの人口は約40万人。デンマークの支配下にあったが、1944年に共和国として独立。1975年に「女性の休日」を契機にジェンダー平等な国として最近は認知されるようになった。だが、待てよと思う。人口40.46万人(2024年)だ。広島市人口の3分の1であり、豊中市、宮崎市(40万台)に相当する規模。しかしアイスランドは地方都市ではなく国家であり、日本の地方都市の行政と比較するべくもない。国家なのだから。

わたしも映画『女性の休日』が日本で上映されるという情報は早くから掴んでいた。その結果はもちろんだがプロセスにとても関心を持っていたから。

上映前の宣伝、アイスランドに視察に行ったフェミニストたちの発言にも注視してきた。その時に言われているのが「女性たちの90%が「休日」に参加した結果であり、女性の連帯で変わったのだ」と口をそろえて絶賛していた。90%という数字はすごい。変わらざるを得ない数字だと言える。しかし…忘れてはいけないのが人口40万人の国家規模だということ。そもそも農業、漁業を基幹産業としたアイスランド。女性なしでは成立しないことは日本の漁業・農業の実態を見ても理解できるし、評価されない女性の無償労働への不満を多くの女性たちはそれまでにたっぷり共有していたのではないだろうか。人口の半分は20万人。共有をカタチにできる数字としてわたしはこの20万という数字を学んだような気がする。日本の人口半分は6000万人。アイスランドの300倍である。政治的構造として同じに語ることができるだろうか。

アイスランドは小さい国だから可能だった、ということはもっと背景として語られていいのではないか。「大きいこと」が良いとされてきた価値観を考え直す「思想」の問題として「小さい」ことの可能性を考えること。ロシアによるウクライナ、イスラエルによるパレスチナへのコロニアリズムを目のあたりにしている今、混乱する脳内を「小さきもの」という視点で洗いなおしてみたい。「女性の休日」ではないが「わたしの休日」に。