
「ないことになってしまう」過程
この写真のみるべきところがどこかわかる人はあまりいないと思います。そう長くはない時間ですが、確実に忘れ去られた空き地と墓石のようにも見える石が中央にあります。その石が雑草によってやがて埋め尽くされるだろう、ある1日の風景。奥に見える家並みとも断絶しているようで、写真の中央に位置していながら見えないもののようでもあります。
この「石」は、墓石ではなく石碑です。かろうじて刻まれた文字が「朝鮮民主主義人民共和国 帰国記念植樹」と読みとれます。建立時はこの石碑の横に百日紅が植えられたという記録と写真がありました。左側2行は読めません。当初は役場の敷地に建立されていましたが、役場移転にともないこの場所に移転されたようです。先日、この石碑がある広島県山県郡北広島町に友人と行ってきました。
わたしがこのようなモニュメントが全国に残っていることを知ったのは1年前です。神戸学生青年センターを拠点に活動する「むくげの会」が調査しており、「朝鮮民主主義人民共和国帰国事業関連モニュメント」リストを作っています。それによると全国では45か所あり、広島県には以下7か所あることがわかっています。友人たち(在日朝鮮人/日本人)と所在地に出向き、7か所すべてを確認しました。
<記念時計>広島平和公園内(1959.12.14)
<石碑>JR安芸津駅ホーム(1960.3.14)
<記念樹と石碑>JR呉線・安浦駅前(1960.12.20)/三次市役所君田支所(1959.12)/三次市尾関山公園(1959.9)/尾道市千光寺公園(1959.12)/山県郡北広島町(1959)
当時の全国在日朝鮮人人口は、619,096人(民団)。うち広島県には13,666人(広島市統計)が在住し、1959年に帰国事業が始まった第1次から6次まで(1960)に広島県から13人(~1984、日本赤十字社)、事業が終了するまでに約2000人が帰国したと言われています。確かに「ここに存在していた」という証を石碑にたくす―帰国者はどのような思いを石碑に刻み込み、埋め込み、広島をあとにしたのでしょうか。これまでそのような思いを馳せることなく広島戦後史を生きてこれたことの意味を考えています。(つづく)
●広島県内には、まだ発見されていない、知られていないモニュメントがあるのではないかと思います。ご存じの方がいらっしゃいましたら、是非ご連絡ください。
