News

3月サゴリの森月記

3月の半ば、ヨーロッパから一人の研究者の来室があった。彼の研究テーマは「近代国家の暴力」。日本語ができないとのことだったが、ありがたいことに同行者二人が通訳を務めてくださり、とても興味深いお話を聞くことができた。ナチス・ドイツのこと、ルワンダのこと、南アフリカのこと……いくつかの国家の暴力とそのサバイバーからの聞き取りについて、とても慎重に、ゆっくり、はっきりと語った。彼のその熱意が伝わってきて気を抜くことなどできない。そして彼の話は必然的に「広島」に行き着いた。

彼は来広して2ヶ月たつが「平和公園」を数回訪れたと言い、「なぜ“平和記念公園”“広島平和記念資料館”なのか」という問いを持ったという。つまりなぜ“原爆記念公園” “広島原爆記念資料館”ではないのかということ。確かに「広島」を「平和」でくくるのか、「原爆」でくくるのかによって、何をどのように誰に向けて構成展示していくのかは違ってくるだろう。彼はその話の中で「ミュージアム」についてこうも言った。「ミュージアム自体が暴力性をはらんでいる」。「原爆」という歴史的出来事の傷を「平和」で覆うことに彼の言う「ミュージアムの暴力性」はないのか。ある人が「広島は瘡蓋都市だ」と言っていたのを思い出し、改めて大きな問いを受け取った気がした。“被害と加害のインターセクショナリティ”にかかわる重要な問題として。

後日、地元中国新聞の記者にそのことについて聞いてみた。「中国新聞は社内用語として一貫して『原爆資料館』と言ってます」という答えが返ってきた。さっそく中国新聞やデジタル記事で確認してみたら、確かにすべて「原爆資料館」となっている。わたしは気がついていなかった。そして、わたし自身は話の流れの中で「原爆資料館」と言ってみたり「平和記念資料館」と言ってみたりしていることに気づいた。どう使い分けているのかはわからない。それは、二つの名づけを深く考えることなく無意識に受け入れていたということだ。

被爆80年、中国新聞が一貫して使用する「原爆資料館」と、広島市が公用語として使用する「広島平和記念資料館」のあいだには何が横たわっているのだろうか。名称の違いは、その出来事や政策についての見解に齟齬はきたさないのだろうか。新聞の読者や市民は混乱はしないのだろうか。その捻じれは現在広島にどのような問題を生んでいるのだろうか。通称使用というだけで済まされる問題だろうか。通称使用と言えば、在日朝鮮人の本名と通称名、選択的夫婦別姓問題における改姓名と旧姓通称名がすぐに浮かぶ。これら通称使用の背景にはある政治性が働いていることは否定できない。では「平和記念資料館」と「原爆資料館」のあいだにはどのような政治性が働いているのだろうか。今までこの「相違と齟齬」について公に問題化、あるいは議論されたことを管見の限り知らない。

同時間に来室していた大学生も加わって、しばらくこの問題提起について6人で議論した。そして彼は帰り際に「こうしてひとり一人の体験をシェアし、議論ができる場があることが素晴らしい」と、再訪を約束して帰路についた。まるで「ミュージアムの暴力性」を批判的に考える回路の可能性をそれぞれが見つけたかのような出会いだった。「平和記念資料館/原爆資料館」問題とともに、いくら民間で小さくても「加納実紀代資料室」もミュージアムの一つだ。その権力性、暴力性の問題とは地続きであることを忘れないでいこうとも思った。

「サゴリした!」という体感が、少し身を軽くしてくれた。(高)